2013年8月16日金曜日

27歳になりました。

こんにちは。

今、イタリアは8月15日の午後10時30分です。街は静まりかえっています。

8月15日といえば日本は終戦記念日ですが、イタリアも祭日なのです。
Ferragostoといって、聖母被昇天の日。去年もこんな記事を書きましたが、そういうわけでイタリアも休み。

それ以前に、この時期はヴァカンスで、ミラノは大学とオフィスの街なので、みんな実家に帰るなり家族と海や山や外国へ長期休暇に出掛けて街は閑散としています。

もはやゴーストタウン状態。

今回、生まれて初めて誕生日を独りでしかも海外で迎えました。
いつものように朝起きて歯を磨いてカフェとヨーグルトで朝食にして、床を掃除してシャワーを浴びる。日常です。

ただ、Facebookのコメントやメッセージ、TwitterやEメールでたくさんのお祝いをいただいて、自分という人間は本当に、本当に周りの方々と縁に恵まれているのだとつくづく実感しました。

静まりかえったミラノの街は、今日という日に自分を見つめ直すのには良い環境でした。

これからの日々、今までよりも一層の努力と、ただガムシャラにやる年齢ではないので、質の高い、上質なストイックさで練習を重ねて、今少しずつ出来ているものを確実なものにしたいです。



今日は、少し長くなっても良いですか。。。?



ここのところ、ようやく自分の声というものと良い関係が築けているように感じています。自分の歌を客観視して質の高い練習が出来ています。 

そして今更何をと思われるかも知れませんが、本当に自分はtenore leggero(テノール・レッジェーロ)だなと、痛感しているのです。Rossiniが本当に楽しくて、何より楽で疲れないのです。もちろん、間違ったテクニックでは疲れます、というかそれ以前に歌えません。

Rossiniのオペラ・アリアに接する機会が増えて分かった事は、他の作曲家に見ない旋律の美しさです。さらに、オーケストレーションが重厚ではないので威圧的でなく爽やかなのです。

そして、前半後半のあるロッシーニ・アリアの典型。
前半のLarghettoやMastosoでは歌い手の旋律は単純だけれど至極美しく、時に火花のような煌びやかな装飾があって、且つ非常にエロティック。

後半は、とにかくテクニック。まるで曲芸を見ているかのような気にさせられる素早く正確なアジリタが要求され、高音もバンバン出てくる。ここでは音楽的な美しさよりも「いかに正確に声を楽器として演奏しきるか」の技術が要求されます。

これらはヴェルディやプッチーニには見られないものです。



しかし残念な事に日本ではロッシーニのオペラ達が上演される機会は極めて少ない。ヨーロッパはまだ良い方ですが(ファン・ディエゴ・フローレスの台頭で上演回数が格段に増えた)、まだまだ埋れているオペラがあります。



ロッシーニのオペラにおいて、テノールのハイCは見せ場などではない場合も多いのです。あくまで経過音。ハイDもハイEsもありますから。
ごまかしは効かないのです。よく力技でその場しのぎのようなアクートを出す人がいますがそれは通用しません。1曲も歌いきれません。そういう意味で、真のベルカントと言っても言いすぎではない筈です。

自分はどうなんだという話ですが、今、少しずつですが確実に自分の中で根を伸ばしているものがあります。

先ほど書いたように、ロッシーニが今の自分には合っていると言えるように、良い勉強と良い成長をしていると自負しています。
これからはもっともっとテクニックを極めて、ストイックに、しかしむやみやたらにやる歳ではないので、ストイックでも上質なものである事を前提に、日々精進してゆきたいです。



夢とまではいかなくても望みがあるとすれば、いずれ日本で埋れているロッシーニのオペラを、美しくてそして楽しく笑えるロッシーニのオペラを、上演するのに一役買えたら、と密かに考えています。



今日は、良い一日でした。

ゆっくり物事を考える事が出来ました。

明日から、また、始動です。

Ciao