2014年3月8日土曜日

留学をするという事 <後編>

前回の続きです。



今では世界中何処にいても、リアルタイムで連絡を取りたい相手と電話やメッセージのやり取りが出来ます。

SkypeやLINEなどのアプリケーションのおかげで、どこでもリアルタイムでコミュニケーションがとれるようになりました。

しかし幾らテクノロジーが進んだからといっても、やはりその場に居なくては、同じ空間に居ない限りは遠い存在には変わりないのです。



両親と時々するSkypeで顔を見れても、時間帯やその場の空気は全く違う訳で、僕が伝えたいこのイタリアの空気や匂い、音などは、デジタル化されるフィルターを通してではやっぱり別物になるどころか伝わらないで終わってしまうのでしょう。



両親はいつも、どんな時でも、心から応援してくれます。

どんな状況であっても、です。



初めて受けたコンクールで予選落ちした。

2回目も駄目だった。

3度目、4度目、、、

来年の春までは納得出来るまでやってみたい。

そう言っても、「お前が選んだ道だから。そう簡単な事ではない事は分かっている」と。だから納得いくまでやれ。と。



誰よりも、他の誰よりも僕自身がこの大変さは分かっているのです。

時間は万人平等に与えられていて、同じ瞬間に同じ分だけ歳をとっていく。

刻一刻と過ぎる時間は決して戻らない。その事をようやく、ようやく今になって痛感しているのです。

今日という日はもう来ない。

次の一秒、次の一日、次の一週間がやってくるだけなのだと。



何が言いたいのかというと、

歌う事を勉強することは、自分自身と向き合う事だと思うんです。

これは他の楽器や、スポーツなど他の分野についても言えることでしょう。

日々の練習の中で、必ず課題はあります。

ここがうまくいかない、ここが難しい。

では何故うまくいかないのか。

何故難しいのか。

逆にどのように歌いたいのか、どのように聴かせたいのか。

それらを追及していくと必ずぶつかる壁が「自分自身」なのです。



少なくとも歌い手は自意識過剰とまではいかなくとも、自意識は強い人種だと思います。

往年の名歌手達をみても、他の人にどう見られているのか、聴こえているのかが気になって仕方がない。

自分の声を録音か録画で聴いた事がある人は分かるかもしれませんが、はじめは自分の声がそれだとは信じられませんよね。

「俺(私)って普段からこんな声なの?!」って。

それほど、自分が普段聴いている(自分に聴こえている)声と他人が聴いている自分の声には差があるのです。

歌い手は自分の身体が楽器ですが、器楽奏者と比べて不利な点はそこです。

自分の出している音が、他人と自分とでは聞こえ方が違うという事。

もちろん舞台で歌う自分を評価するのは自分以外の人な訳ですから、彼らの「良し・悪し」は意識せずにはいられません。自意識が強くなってしまう理由はそこにあると言ってもいいでしょう。

自分の声が、歌がどう聴こえているのか。

さて、そうすると一人では前へ進むのが難しくなります。やはり誰かその場にいて聴いてくれる人が必要です。

そこでぶつかるのが、その人ではなく、自分自身なのです。

つまりプライドです。



つづく

2014年3月5日水曜日

留学をするという事 <前編>

また随分と久しぶりの投稿になりました。

今年のミラノは、冬が無かったと言ってもいいくらい暖かく雪も降らず雨ばかりで晴れれば日中は14℃くらいあり、氷点下なんてまずありませんでした。

もう3月です。何だか拍子抜けしながらも日は確実に長くなっていて、夕暮れ時に漂う空気の匂いも何処と無く寂しいあの春の匂いになってきて、最近では目が痒かったりくしゃみが出たり、すっかり春の訪れを実感しつつあります。

ミラノで迎える4度目の春。今月の最終日曜日で冬時間が終わり、ヨーロッパはサマータイムになります。

今年の春が今までのそれと違う事は、僕がサマータイムになるのを待たずに日本へ帰るという事です。



2011年3月1日から、本格的に留学生活を開始してもう丸3年が経ちました。

ようやく、完全帰国です。

留学期間は人それぞれですが、奨学金や私費で来る人は1年か2年がほとんどですので、3年間というのは割と長い方だと言えるでしょう。

東京で大学2年生になる春から卒業して留学するまでの約4年弱過ごした家を出る時もそうでしたが、今こうして引き出しを片付け物を段ボールに詰めて荷造りをしていると、思い出のある物が出てきては手を止め、これまでのミラノの生活を振り返ります。

特に目に留まるのが、親族や友達、地元の先生からの手紙です。

そこには送ってくれた友達や先生や家族の想いが詰まっていて、気付いたら目が赤くなっていました。
花粉症が原因では無い事は確かです。

自分は何の気なしに日々過ごしてはいましたが、特に両親はこれまでどんな想いだっただろうと、今更ながらに初めて考えたのでした。



つづく